古代ギリシア人は重要な決断をする際、神々のお告げに頼ることがありました。
人間が神々の声を聞く場である神託所は各地に存在しており、その中で最も信仰を集めていたのがデルポイのアポロン神殿でした。
デルポイはギリシア内外から訪れる人々の運命を左右する数々の神託を与え、多くの歴史的事件や神話に影響を与えました。
今回は、そんなデルポイ遺跡を訪問した際の思い出を綴っていきたいと思います。
神託の地デルポイ
デルポイの神託は、古代ギリシアの歴史と神話の中で重要な役割を果たしてきました。
不吉な予言に抗おうとして逆にその予言を成就させてしまったテーバイのライオス王とその息子オイディプス王。
予言を解き明かすために立ち寄った都市トロイゼンで息子テセウスを授かったアテナイ王アイゲウス。
予言を巧みに利用して海軍を創設し、サラミスの海戦でペルシア軍を打ち破ったアテナイの将軍テミストクレス。
予言の解釈を誤り、自国を滅亡させてしまったリュディアのクロイソス王。
デルポイの抽象的かつ曖昧な予言は人々の運命を翻弄し、数々の物語を生み出してきました。
デルポイへの旅路
現代ギリシア語では「デルフィ」と呼ばれるデルポイは、中部ギリシアに位置しています。
ペラ遺跡訪問及びオリュンポス登山の後、北部の街テッサロニキからデルフィを目指してマケドニア・バスターミナルの24番乗り場から長距離バスに乗りました。
北部から直接デルフィに向かう人は少ないのか、ガイドブックにはアテネからの行き方しか書かれておらず、テッサロニキのバスターミナルで時刻表や料金を確認する必要がありました。
テッサロニキ・デルフィ間のバスは15:15発の1日1本のみで、料金は38ユーロです(2018年10月当時)。
バスは直通ではなく、ジャンボタクシーへの乗り換えが必要でした。
バスとタクシーの乗り換え地点が一度デルフィから遠ざかる位置にあったこと、運転手がしばらく来なかったことから、他の観光客ともども不安と戸惑いの気持ちを抱えながらの乗り換えでした。
結局、デルフィに到着したのは夜の21時半。
その日は事前に予約していた宿に宿泊し、翌朝に遺跡の観光に向かいました。
デルポイの遺跡観光
前日のバス移動で疲れていたはずですが、憧れの遺跡を前にしたワクワク感からか、6時頃に目が覚めてしまいました。
ゆっくりと朝食を取った後、宿から遺跡まで歩いて向かいました。
デルフィの街自体が小さいため、どこの宿に泊まっても移動に困ることはありません。
10分もしないうちにデルポイ遺跡に到着しました。
遺跡の開場は8時半~だったため、先に博物館を訪れることにしました。
博物館と遺跡の共通券は12ユーロ。国際学生証の学割が効くのではないか?と期待していましたが、残念ながらデルポイ遺跡は対象外でした。
博物館内にはデルポイ遺跡からの発掘品が数多く展示されていました。
かつてオリュンポス12神を中心とする神々が信じられていた時代には、全ギリシア人の尊敬を集めていたデルポイ神殿。その宝物庫には各地から奉納された財宝があふれんばかりに納められ、神殿自体の装飾も華やかなものだったのでしょう。
現在は展示物となっているそれらの奉納物や神殿のレリーフには精巧な彫刻が施されており、質量ともに当時最高水準のものが集められていたことが容易に推測できます。
英雄ヘラクレスやテセウスの冒険、イアソン率いるアルゴナウタイ、神々と巨人族の戦いギガントマキア、ギリシア中の英雄が集ったカリュドーンの猪退治、フェニキアの王女エウロペの誘拐、そしてトロイア戦争…
神話の名場面が描かれた展示物は、神話好きの目を楽しませてくれました。
小学生時代からギリシア神話が大好きな私は彫刻と多少の説明を見ればなんの場面かすぐにわかりましたが、「ギリシア神話にはそんなに詳しくないんだけれど…」という方もご安心ください。
館内ではWi-Fiが使用可能なため、すぐにインターネットで調べることができます。
また、展示物の中には”オンファロス”と呼ばれる石の複製品も展示されていました。
オンファロスとは”世界のへそ”を意味し、デルポイが世界の中心であると信じられていた古代ギリシアでは文字通り”世界のへそ”であるとされていた石です。
一通り展示品を見て回ったタイミングでツアー客も増えてきたこともあり、45分程で博物館を後にして遺跡に向かいました。
デルポイのアポロン神殿
遺跡は博物館から少し歩いたところにあり、共通券で入場できました。
入り口付近には世界各国から来たのであろう観光客が多く見受けられました。
ペラ遺跡では観光客がほとんどいなかったため「オフシーズンだから、ギリシア旅行はゆっくり楽しめるかも?」なんて期待していたのですが、考えてみればこの日は土曜日。
またデルポイ遺跡は北部のペラ遺跡よりもずっと首都アテネに近く、交通の便も良いです。
さらにはデルポイ遺跡は世界遺産にも登録されており、よく考えてみれば混雑して当たり前の条件がそろっていたのでした。
もともとデルポイ遺跡は平野に比べてかなりの高台に位置しており、遺跡内部でも上に向かって徐々に参道を登っていく構造になっています。
参道沿いには古代ギリシアの都市国家の宝庫や柱廊が立ち並んでおり、特に”アテナイ人の宝庫”はマラトンの戦いでの勝利への感謝の印として捧げられたものだそうです。
やはりここはギリシア中の尊敬を集めていた信仰の地なのだ、と改めて実感しました。
参道を登ると、かつて神託を伝えていたアポロン神殿の跡地、すなわちデルポイ神殿の中心的な場所が見えてきました。
現在は基礎部分しか残っておらず、6本ある柱も上まで残っているのは1本だけです。
しかしその大きさからは往時の繁栄をうかがうことができ、朝日に照らされて神々しい姿を見せてくれました。
さらに上にある劇場や競技場を目指して歩いていると、日本語の「地球の歩き方」を手にした年配のご夫婦に出会いました。
「日本語で書かれたガイドブックを持っていたから、もしかしたら、と思って」と声をかけてくださったとのこと。
そのご夫婦は45年ぶりにデルポイを訪れたとのことでした。
自分も将来再びデルポイを訪れることがあるのだろうか。45年も経っていれば、様々な経験をしているだろう。そうすれば、今とは違った見方をするようになっているのだろうか。そのためにも、今の感性を大事にして、きちんと記録に残しておこう。
そんなことを考えさせられた出会いでした。
劇場は保存状態が非常に良く、写真を撮るのが楽しかったです。
年配のご夫婦曰く、45年前は競技場跡地を走り回ることができた、とのことでしたが、現在は残念ながらロープが張り巡らされ、入ることすらできませんでした。
劇場からはアポロン神殿をはじめとする遺跡全体を見渡すことができ、デルポイ遺跡が標高の高い地点にあることを改めて実感しました。
高台にあるデルポイは背後に岩山を控えていることと合わせ、天然の要害と言うにふさわしい地形です。
ペルシア戦争の折、ペルシアのクセルクセス王はデルポイを攻撃させなかったという逸話があります。
これはデルポイを攻撃することでギリシア人の団結を強めてしまうことを恐れ、また圧倒的な大軍を有し勝利を確信していたクセルクセス王が将来ギリシアを支配する際に禍根を残さないようにあえて攻撃対象から外したのだと言われています。
しかし現地でデルポイが位置する地形を見て、天然の要害であるこの地を攻撃して無駄な損害を出してしまうことを避けたいという軍事的な理由もあったのではないか?という気がしました。
カスタリアの泉
デルポイ遺跡の観光を終えた後、私は”カスタリアの泉”に向かいました。
カスタリアの泉はデルポイ遺跡から徒歩ですぐの場所にあり、古代ギリシア人はデルポイの神殿を訪れる際にこの泉で身を清めたとのこと。
神話では、ニンフのカスタリアがアポロンに一目惚れされ、彼から逃れるためにこの泉に身を隠したと言われています。
アポロンの聖樹とされる月桂樹もまた彼の求愛を拒んだダプネが変化した姿とされており、そうした女性たちがアポロン信仰に取り込まれているというのはなんだか皮肉な気がしてなりません。
現在では泉は枯れており、石造りの遺構が残るのみですが、近くの水を汲める場所で冷たくおいしい水を飲むことができました。
痛恨のミス…
その日はアテネに向かうことに決めており、バスのチケットを購入するために売り場に向かいました。
しかしチケット売り場は閉ざされており、通りを挟んだ向かいの建物に「チケットは隣のレストランで」という趣旨の記載がありました。
「なんでレストランで?」と半信半疑ながら”In Delphi”というレストランに入って聞いてみると、本当にバスのチケットを購入できるとのことでした。
バスの予定時刻を聞くと、次のバスが11時発、その次が16時発とのこと。
アテネまでは2時間半かかるとの情報があり、まだ様子のわかっていない街を夜に歩くことは避けたかったため、11時の便のチケットを購入。価格は16.4ユーロでした。
一度宿に戻ってチェックアウトし、再びバス停へ。
ジェラートを食べながら待っていると、20分ほどの遅れはありましたが、バスは無事に出発しました。
しかし、車内で写真やガイドブックを見ながらその日の振り返りをし、感慨にふけっていると…
なんと、このタイミングで重大な見落としに気づいてしまいました。
デルポイ遺跡から少し歩いた場所には、”アテナ・プロナイアの神域”と呼ばれる特徴的な遺跡があったのだそうです。
事前調査が十分でなかったことを反省しつつ、いつか再びデルポイ遺跡を訪れようとの思いを新たにしました。
地球の歩き方 A24 ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス 2019-2020
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