ミノタウロス発祥の地!クノッソス宮殿訪問記

ギリシア旅行記

訪問日:2018年10月25日

古代ギリシア最古の文明の一つであるミノア文明の中心地、クノッソス宮殿。

ギリシア神話に登場するミノス王が支配し、地下の迷宮には牛頭人身の怪物ミノタウロスが幽閉されていたと言われる場所だ。

アテネからクレタ島へ

古代からアテネの外港として用いられていたピレウス港から夜行フェリーに搭乗。フェリーはネット予約可能で、予約画面は印刷の必要はなく、スマホで見せれば乗船することができた。

古代からの港、ピレウス港(筆者撮影)

個室もあったようだが、大学生の節約旅行ということで大部屋を選択した。

…大部屋というか、ただの休憩スペースというか…ソファで寝っ転がると注意されてしまったため、座った姿勢で眠りについた。

フェリー内の様子。この緑色のソファに座って眠った(筆者撮影)

全額バイト代で賄った節約旅行で、かつ時間の節約という意味から夜行フェリーを選んだので、これくらは仕方がない。大学生ゆえの有り余る体力と、山で鍛えたどこでも寝られる能力で一晩を乗り切ったのだった。

朝6時半にクレタ島のイラクリオンに到着。港近くのバス停からクノッソス宮殿までの往復チケットを3.4ユーロで購入し、7時のバスに乗った。

約20分で宮殿に到着し、8時の開場まで待つ。チケットは博物館との共通券で16ユーロ。

ここで知ったのだが、ギリシアの古代遺跡では基本的に国際学生証が使用できなくなってしまったらしい。道理でこれまでの訪問個所では使えるところが少なかったわけだ…。以前のイタリア旅行では重宝したので、残念に感じた。

クノッソス宮殿の内部

独特な様式の円柱、牛の角を象った巨大な装飾、色彩豊かな壁画。

クノッソス宮殿の円柱(筆者撮影)

遺跡に足を踏み入れてすぐに、ギリシア本土とははっきりと違った雰囲気を感じた。古代のギリシア人もまた、この地に異国情緒を感じていたのだろうか。

クノッソス宮殿の壁画(筆者撮影)

まずは女王の間を目指す。有名なイルカの絵を見るためだ。

女王の間。イルカの壁画が美しい(筆者撮影)

意外と目立たない位置にあり、一度は通り過ぎてしまった。存在を知らなければ見つけることはできなかったかもしれない。しかし女王の間というだけあって、イルカの壁画や壁の模様は非常に美しかった。

迷宮を思わせる遺跡(筆者撮影)

女王の間周辺には石造りの壁の跡が広がっていた。この遺跡が、古代ギリシア人の目には迷宮のように映ったのだろう。

牛が描かれた壁画(筆者撮影)

北の入り口近くの牛の壁画。躍動感があり、また建物自体も周りより高くなっているためよく目立つ。鮮やかな色合いは青空によく映え、美しかった。クノッソス宮殿では至る所に牛のモチーフが使われているが、この壁画もその一つだ。

牛の角を模した装飾(筆者撮影)

こうした壁画や装飾品から、そして前述の迷宮のような遺跡から、古代ギリシア人は迷宮ラビュリントスとミノタウロス、それを退治したアテナイの英雄テセウスの伝説を生み出したのだろう。

王座の間

遺跡の中央よりやや西側には、王座の間と呼ばれる場所がある。クレタの王が座ったとされる石の玉座とグリュプス(グリフィン)の壁画がある場所であり、クノッソス宮殿の目玉の一つだ。しかし、奥の遺跡を先に見ているうちにツアー客による行列ができてしまっていた。仕方がないので並ぶ。行列は遅々として進まず、結局二十分ほど並ぶこととなった。

待ち列の途中にあった玉座のレプリカ(筆者撮影)

王座の間は赤地の壁にグリフィンや植物の模様が描かれており、石の王座が設置されていた。

王座の間(筆者撮影)

王座は思ったより小さかったが、波打つ形の背もたれを見て、よくこの形に加工したな、古代の技術はすごいな、と感心した。王座の向かいにはクレタ島特有の形の黒い柱が3本立っていた。この部屋でミノス王が政務を執り行い、アテナイからの生贄に紛れ込んだテセウスの謁見も行われたのだ。

考古学博物館へ

クノッソス宮殿を出ると、いつの間にか曇り空となっていた。時間的にもちょうどよかったので、バスでイラクリオンの街に戻った。

バスを降り、その足で考古学博物館へ。クノッソス宮殿で購入した共通券で入場した。

アテネの国立考古学博物館はギリシア全土の出土品を展示しているが、唯一クレタ島からの出土品のみ所蔵していない。ほとんどがここ、クレタ島考古学博物館に展示されている。

展示されていた牛の像(筆者撮影)
牛の頭を模した装飾(筆者撮影)
タコが描かれた壺(筆者撮影)

精巧な牛の頭部の彫刻やタコをモチーフとしたデザインの壺など、独特な展示品が数多くあった。小さな牛の像も多数展示されており、クレタ島の文明では牛が重視されていたことを改めて実感した。

両刃の斧。この出土品からミノタウロスの武器のイメージが生まれたのだろうか?(筆者撮影)

両刃の斧もたくさん飾られていたが、ゲーム等でミノタウロスが得物としている斧はここから着想を得たのだろう。

考古学博物館に展示されていたクノッソス宮殿の壁画(筆者撮影)

またクノッソス宮殿に飾られていた壁画の本物も展示されていた。遺跡にあるのがレプリカばかりというのも味気ないと思っていたが、保存状態も良くなり、遺跡よりも間近で見ることができるため、これもいいのかもしれない、と思い直した。

クレタ島の神々の像

ギリシアの神々や英雄の像も展示されており、やはりクレタ島もギリシアの一部なのだな、と改めて感じた。

美の女神アフロディーテや酒の神ディオニュソス、医学の神アスクレピオスは他の博物館でもよく見かけたが、冥界の王ハデスの彫刻を発見したことには少々驚き、そして嬉しくなった。ハデスはギリシア神話を基にした作品において悪役として描かれることも多い。しかし実際には、身勝手なギリシアの神々の中で随一の誠実さと真面目さを持つ神なのだ。

向かって左からペルセポネ、ケルベロス、ハデス(筆者撮影)

ゼウスの長兄でありながらオリュンポス十二神に数えられず、それでも文句ひとつ言わず職務に励む。

ゼウスの娘コレーに恋をした際にはまずゼウスの許可を取ってから彼女を連れ去った。後にコレーが地上に戻されることとなった際には彼女を騙してザクロの実を食べさせ、一年の三分の一は冥界で過ごさねばならなくしてしまうが、これも愛する女性を失いたくないが故の行動だったのだろう。

ペルセポネとなった後のコレーとハデスの不仲を伝える逸話はなく、ローマ神話においては後にプルト(ローマ神話のハデス)がたった一度だけ浮気をした際には、プロセルピナ(ローマ神話のペルセポネ)はその浮気相手を踏みつぶしてしまうほどの怒りを見せているのだ。

博物館でもハデスの像はペルセポネの像と隣り合わせに飾られていた。ハデスの足元にいる冥界の番犬ケルベロスと合わせ、微笑ましい光景にすら見えた。

旅の終わり

博物館を出た後はイラクリオンの街中を観光し、翌日も観光した後に再び夜行フェリーでクレタ島を後にした。クノッソス宮殿を訪れた後、船でアテネへ向かう。

英雄テセウスと同じルートだ、いやナクソス島に寄ればさらに近づいたか。そんなことを考えながら、翌日のディクテオン洞窟訪問に備えてクレタ島のホテルで眠りについたのだった。


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