古代と現代の中心地 アテナイの遺跡巡り

ギリシア旅行記

ギリシアと聞いて多くの人が最初に思い浮かべる都市、恐らくそれはアテネでしょう。

現代ギリシアの首都にして最大の都市であり、古代にはアテナイと呼ばれてスパルタとともにギリシア屈指の強国として君臨していました。

ペルシア戦争でも活躍し、最盛期にはデロス同盟の盟主として繁栄を謳歌した都市です。

アテネには古代ギリシアの遺跡だけでなく、ローマ時代の遺跡や教会、近代の建築も数多く存在します。

2018年の10月15日~11月9日までの約1か月間のギリシア旅行で、私が最も多く滞在したのがここアテネです。具体的には25泊中、11泊をアテネで宿泊しました。

アテネ及びその近郊に見るべきものが多かったこともありますが、大都市ゆえに安い宿が多く、また他の観光スポットへのアクセスも充実していたためです。

今回はそんなアテネに残された古代の遺跡を中心にご紹介したいと思います。

尚、古代に思いを馳せるため、遺跡について解説する場合にはアテネではなくアテナイと呼称することにいたします。

アクロポリス

本来、アクロポリスとは古代ギリシアのポリスにある小高い丘を意味し、有事の際の避難所であるとともに、宗教的・軍事的な中核としての機能を有する場所です。

現在、単にアクロポリスと言った場合にはアテナイのアクロポリスを連想する方が多いでしょう。

アテナイのアクロポリスはパルテノン神殿を中心に、様々な門や神殿、台座で構成されています。

アクロポリス単独であれば入場料は20ユーロですが、他の6つの遺跡を合わせた共通券であれば30ユーロで購入できます。歴史好きであれば、こちらの共通券を購入することをお勧めします。

ただ、残念ながら国際学生証による学割はありませんでした。

入り口から臨むアクロポリス(筆者撮影)

パルテノン神殿

現代残っているパルテノン神殿は、ペルシア戦争の際に破壊された元々の神殿を再建したもので、アテナイの最盛期の指導者ペリクレスのもとに名建築家フェイディアスが指揮を執り築いたものです。

古代には壮麗さを誇った神殿でしたが、後にトルコ軍により火薬庫として用いられ、そこにヴェネツィア軍が砲弾を撃ち込んだために大破してしまいました。

現在も修復作業が進められていますが、私が訪れた際には前面の修復が行われており、写真を撮るにはあまり適していませんでした。

正面を工事中のパルテノン神殿(筆者撮影)

経済が不安定なギリシアのことなので、修復がいつ終わるかはわかりませんが、完成した暁にはぜひまた訪れたいと思います。

エレクティオン

パルテノン神殿の側には、エレクティオンと呼ばれる神殿があります。

アテナイの守護神アテナの息子ともされる伝説上の二代目国王エリクトニオスに捧げられたもので、柱が少女の像となっている斬新なデザインの神殿です。

エレクティオン(筆者撮影)

ロープで囲まれており、残念ながら近寄ることはできませんでした。

アクロポリスの城壁

アクロポリスを囲む城壁は、アテナイをペルシア軍に蹂躙された反省から、二度と都市を破壊されないようにキモンという将軍により築かれたものです。

小高い丘の上にあることと合わせて、アクロポリスを堅固な要塞としていました。

アクロポリスの城壁(筆者撮影)

アテネ観光中、アクロポリスはその標高と存在感ゆえにどこにいても目に入りました。

古代アテナイの人々もまた、自らの故郷の誇りとしてアクロポリスを見上げていたのでしょう。

ディオニュソス劇場

アクロポリスに隣接した遺跡に、ディオニュソス劇場があります。

こちらも共通チケットの対象となる観光スポットで、アクロポリスからはチケットチェックなしで行くことができます。

ディオニュソスとはオリュンポス十二神の1柱にも数えられる葡萄酒(ワイン)と豊穣の神で、この劇場はその名の通りディオニュソスに捧げられたものです。

劇場は紀元前325年に建設されましたが、現在残されているのはローマ時代に再設計されたものです。

ディオニュソス劇場(筆者撮影)

ディオニュソスを祝して行われたディオニューシア祭では、主に悲劇の上演が行われ、ギリシア三大悲劇詩人と称されるアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスらもこの地で作品の優劣を競ったのです。

観客席の上層階は崩れている箇所が多いものの、ここで古代の名演が行われていたと考えると胸が熱くなりました。

ゼウス神殿

次に訪れたのはゼウス神殿です。

ゼウス神殿という名前からギリシア時代の遺跡…かと思いきや、完成したのはローマ時代だそうです。

建設が始まったのは紀元前6世紀頃、アテナイが僭主ペイシストラトスによって治められていた時代です。

しかし政局の変化もあり、建設は度々中断され、最終的にはハドリアヌス帝の統治下で完成しました。

現在では十数本の円柱が残るのみですが、力強いそのたたずまいはギリシア最高神の神殿にふさわしく、何枚も写真を撮ってしまいました。

ゼウス神殿(筆者撮影)

古代アゴラとヘファイストス神殿

その後、古代アゴラへ向かいました。

アゴラはアクロポリスとともにポリスを構成する主要な部分であり、政治・経済・文化の中心となっていた場所です。

ここには多くの遺跡が存在し、中でも特に感銘を受けたのがヘファイストス神殿です。

ヘファイストス神殿(筆者撮影)

ヘファイストス神殿は保存状態が非常に良く、ほぼ完璧な姿で残っています。

多少円柱がずれている箇所もありましたが、今回のギリシア旅行を通じてここまできれいな状態を保っていた遺跡は他にありませんでした。

古代の姿をそのまま留めた荘厳な遺跡を見ることができたのは私にとって大きな喜びで、深く印象に残った神殿でした。

また古代アゴラには博物館があります。ここで私は、ちょっとおもしろいものを見つけました。

それが「陶片追放」で用いられていた陶器の欠片です。

陶片追放に用いられた陶器の欠片(筆者撮影)

陶片追放とは民主制を守ることを目的として創設された制度で、僭主となりうる人物を投票で選び、10年間追放するというものです。

どのような基準で追放者を決めたのか、は諸説ありますが、投票の際には陶器の欠片に追放したい人物の名を刻んだことからこの名で呼ばれました。

展示されていた陶片にはペリクレスやアリステイデス、キモンといったアテナイの有力者たちの名前が刻まれていました。

名が刻まれた人物の中には実際に追放された人物もおり、「正義の人」と呼ばれたアリステイデスには字が書けない市民に頼まれて自分の名前を刻んであげた、という逸話が残っています。

もしかしたら実際に追放された時の陶片かもしれない、と思うと歴史のロマンを感じました。

ケラミコスの丘

さて、次に訪れたのはケラミコスの丘です。

古代アテナイの墓地跡ですが、美しい彫刻の施された白い墓石が多数並び、墓地という言葉から連想されるような陰鬱さはありませんでした。

墓石は円柱だけのもの、大小の彫刻が刻まれたもの、牛やグリュプス(グリフィン)の像で飾られたものなど、様々な種類があります。

ケラミコスの丘の墓石(記事内)

墓石の装飾は恐らく埋葬された人物の地位や財力を反映したものなのでしょう。

比較的観光客の数も少なく、遺跡をゆっくりと楽しむことができました。

余談ですが、ケラミコスの丘は周辺に陶工が多く住んでいたことから、「セラミック」の語源にもなったそうです。

それを表すかのように、併設された博物館にも墓石や様々な種類の陶器、陶片追放で用いられた陶器の欠片等が展示されていました。

ケラミコスの遺跡もアクロポリスとの共通券で入場することができます。

ハドリアヌスの図書館

ケラミコスの丘を訪れた後は、ハドリアヌスの図書館へ向かいました。

この図書館はローマ五賢帝の一人ハドリアヌス帝が建設したもので、ローマのフォロ・ロマーノの建築様式をモデルにしているそうです。

現在は図書館の門だけが残されています。

ハドリアヌスの図書館(筆者撮影)

アレオパゴスの丘

民主政は古代ギリシアで誕生したとされていますが、それ以前には王政や貴族政が敷かれていました。

アテナイも例外ではなく、ある時期までは貴族たちで構成される評議会に多くの権限が集中していました。

その評議所が置かれていたのが、軍神アレスの名を冠したアレオパゴスの丘です。

丘の名を取って「アレオパゴス評議会」と呼ばれるこの評議会は貴族たちの牙城となり、初期の民主制はアレオパゴス評議会の権限を平民も参加する民会に移すことで確立されていきました。

実はアレオパゴスの丘は事前に行こうと計画していたわけではなく、アテネ市内を歩き回っていた際に偶然目に留まって立ち寄ったところ、古代アテナイの歴史上重要な場所だったのです。

現在ではごつごつとした大きな岩だけが残っており、急な階段を登っていくとアクロポリスをはじめ、市内の景色が美しく見えました。

アレオパゴスの丘にはアクロポリスとは別日に行ったのですが、その日はちょうど遺跡の無料開放日。

アクロポリスに大勢の人が詰めかけている様子が見えました。

アレオパゴスの丘から眺めるアクロポリス(筆者撮影)

アレオパゴスの丘には特にゲート等もなく、料金はかかりません。古代史に興味がない方でも、美しい景色を楽しむことができるのでおすすめスポットです。

プニュクスの丘

アクロポリスから少し歩いた場所にあるプニュクスの丘。

ここは古代アテナイの民会が行われていた場所で、知名度は低いながらも歴史的に重要な場所です。

小高い丘を登ると広い公園のような場所に出て、公園を縦断するような形で伸びた岩壁の中程に三方に段のついた石の演台があります。

プニュクスの丘の演台(筆者撮影)

古代アテナイでは市民たちがこの演台の上で演説を行い、自らの意見を主張していたのです。

プニュクスの丘からもアクロポリスを眺めることができ、また知名度が低いために観光客も少なく、料金もかからないため、ゆっくりと古代に思いを馳せることができる場所です。

プニュクスの丘から眺めるアクロポリス(筆者撮影)

終わりに

古代の強国で、現代もギリシアの首都であるアテネ。

今回はそんなアテネの数多い観光スポットの中でも、歴史的な舞台・遺跡を中心にご紹介しました。

かつてはスパルタと覇権を争ったギリシア世界きっての強国だけあって、その遺跡は質量ともに充実したものでした。

古代史ファンがギリシア旅行をするのであれば、やはりアテネは行って損はないと思います。

アテネの主要な観光スポットである国立考古学博物館でも面白い発見がたくさんあったので、いずれご紹介したいと思います。


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