”マラトンの戦い”。
紀元前490年、ギリシアに侵攻してきたペルシアの大軍をアテナイとプラタイアの連合軍が打ち破った戦いです。
そしてまた、”マラトンの戦い”での勝利を伝えるために全速力で走った伝令兵がアテナイに到着した直後に息絶えたという逸話から、「マラソン」の語源ともなった地です。
そんなマラトンはアテナイ、現在のギリシアの首都アテネの近くにあり、私は2018年10月21日にこの地に足を運びました。
今回はその様子をご紹介します。
マラトンへの道のり
宿から近いアレオス公園近くのバス停から9:00の便に乗り、マラトンへと向かいました。
マラトンの古戦場跡は現在のマラトンの町よりも手前に位置しており、ティムボスというバス停で下車する必要があります。
ガイドブックによると事前に運転手に行き先を伝えると良いと書かれていたので、料金回収の際に行き先を伝えました。
片道の料金は4.1ユーロで、ガイドブックの情報よりも1.1ユーロ高かったです(2018年10月当時)。
もしかしたら経済危機によってバス代の値上がりがあったのかもしれません。
左手にギリシアらしい木がまばらに生えた岩山、右手に海を見ながらバスは進んでいきました。
この風景を見ていると、かつてペルシア艦隊がマラトン近くまで来たという話も納得がいきました。
ティムボスに近づくと、係員にどこに行きたいのかを聞かれました。マラトンの古戦場跡に行きたいと言うと、近くで降ろしてくれました。
古戦場跡の見学
下車した地点から少し歩くと、古戦場跡が見えてきました。
しかし、公園全体が柵で囲まれており、入場料が必要でした。
ガイドブックでは無料と勘違いしていたため、少しあてが外れた思いでしたが、離れた位置にある博物館との共通券で6ユーロということでした。尚、ここでも国際学生証による学割はありませんでした。
公園内は静かな草地で、中央には戦いで犠牲となったアテナイ兵士を葬った塚がありました。
「登らないで」と入場時に注意されたのは、塚が古代の戦士たちの墓であることを考えれば当たり前です。
マラトンの古戦場跡地は一見すると何の変哲もない公園に見えてしまうため、事前知識が無ければ素通りしてしまうかもしれません。
しかし、ここで行われた古代の激戦を思い浮かべると、その歴史的な重みがロマンを刺激してくれました。
博物館の訪問
せっかく入場料を支払ったので、35分かけて博物館まで歩きました。
道のりはほとんど農道で、数台の農作業車両が通り過ぎていきました。
博物館では、マラトンから出土した壺や石像が展示されていましたが、規模が小さく、特に目立つものはありませんでした。
それほど急いで見学したわけではありませんでしたが、15分ほどで見終わってしまいました。
ドキドキの帰路
そして、ここで気づきました。
そういえば、帰りのバスはどこから乗ればよいのだろうか?と。
行きのバスでは係員の好意で古戦場跡近くで降ろしていただきましたが、それゆえにかえって正しいバス停の場所を確認できていませんでした。
慌てて博物館の方に聞くと、大通りに出れば右手にバス停があると言われ、一安心しました。
しかし、しばらく歩いて見つけたバス停には時刻表がなく、不安が募りました。
念のため、古戦場跡のチケット売り場の受付にも確認しましたが、同じ場所を案内されました。
インターネットが繋がらない環境でバスを待つのは心細いものでした。
1時間ほど待つと、アテネ行きの表示があるバスが見えましたが、そのバスは目の前を素通りしていきました。
慌てて追いかけると、ちょうど信号が良いタイミングで変わったこともあり、運転手が気づいてドアを開けてくれました。
無事にバスに乗り込めたので良かったものの、もしかするとバス停の場所を間違えていたのかもしれません。
危なくアテネまで約40㎞の”リアル・マラソン”をする羽目になるところでした。
終わりに
ギリシア軍とペルシア軍がぶつかりあった”マラトンの戦い”。
現在ではひっそりとした公園に姿を変えたその戦場跡地。
何も知らなければただの公園と見過ごしてしまいそうな地ですが、古代ギリシアファンにとっては自分が歴史の舞台に立っているというのはやはりロマンを感じるものです。
今回のギリシア旅行では訪れることはできませんでしたが、次回行く機会があればペルシア戦争の他の戦場跡地、テルモピュレーやサラミス、プラタイアにも行ってみたいと思います。
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